金 - 7月 7, 2006

ケルン大聖堂が世界遺産除名の危機



Pentax *istD + DA16-45mm

今朝の新聞に、ケルン大聖堂の世界遺産からの登録抹消が世界遺産委員会にて論議されようとしている、という記事が出ていました。記事によると、ライン川を挟んで大聖堂と向かい合う高さ100mを超える高層ビル4棟の計画が、景観的価値を損なうと判断されたため、とのこと。上の写真には写っていませんが、橋の右手が再開発計画地になっています。


Pentax *istD + DA16-45mm

計画されている4棟の高層ビルのうち1棟は、今年4月に完成したとのことですが、写真は昨年8月に撮影した建設途中のビル。


Pentax *istD + DA16-45mm

このことは、昨年ケルンを訪れた後に「アーヘン・ケルン・フォトギャラリー 」の中でも書いたのですが、鉄道でケルンに到着してもっとも驚いたのは、ケルンの中心駅と大聖堂とが隣接していることでした。写真では駅構内からガラス越しに大聖堂が見えています。フランスでは一般に大聖堂を中心とする旧市街(歴史的地区)と駅を中心とする新市街とは明確にゾーンが分けられているため、駅と大聖堂が隣接している例というのは見たことがありません。そのため、新市街の開発が進んでも旧市街の歴史的街並みは保存されるわけです。


Pentax *istD + DA16-45mm

13世紀に建設の始められたケルン大聖堂は1560年に工事が中断し、その後300年の時を経て1842年に工事が再開、1880年に完成したもの。おそらく鉄道の駅とライン川をまたぐ鉄橋(どちらも当時のものは現存せず)は、大聖堂と同じ時期に建設されたものだと思われます。ガラスと鉄骨が多用された鉄道駅は19世紀の産物であり、「19世紀の大聖堂」ともいわれますが、大聖堂と鉄道が隣接するこの配置はもしかするとケルン特有の現象だったのかもしれません。つまりどちらも19世紀におけるケルンの中心でありシンボルであったと考えられます。


Pentax *istD + DA16-45mm

その結果、ケルンの街は旧市街と新市街というゾーニングが行われることなく、大聖堂と鉄道駅を中心に歴史的街並みの中に近代的な建築が次々に建設されていくという虫食い的な発展を遂げていったのかもしれません。そのため僕個人としては、今回問題になっているライン川の反対河岸の再開発計画(写真)よりも、大聖堂のある左岸の街並みの方により大きな問題があるように感じられました。もっとも、ケルン大聖堂が世界遺産に登録された1996年には、左岸の歴史的街並みはとっくに危機的状況にあったわけですが。それに比べれば、反対河岸の右岸の開発による影響は少ないようにも思われます。


Pentax *istD + DA16-45mm

とはいえ、今回の再開発計画が4塔の高層ビル建設であるという点は、やはり大きな問題といわざるを得ないでしょう。今日の1枚目の写真を見ていただいてもわかるように、ヨーロッパの歴史的都市において、そのスカイラインを決定づけるのはゴシック教会堂を中心とする歴史的建造物です。また、この写真はパリのオペラ座を撮ったものですが、高さ制限のかけられたパリの街並みの中で飛び抜けて大きいのはオペラ座のような歴史的な建築ということになるわけです。オペラ座の隣に高層ビルが建ってしまっては、間違いなくパリの景観は崩壊してしまうでしょう。


Pentax *istD + DA16-45mm

同じく写真はパリの街並みを屋根の上から眺めたものですが、左手の大屋根はマドレーヌ寺院、中央は言わずとしれたエッフェル塔、その足下にあるのが1900年のパリ万博会場となったグラン・パレで、こうしたモニュメントがパリのスカイラインを決定づけているのがよくわかると思います。実は、写真左奥にはパリ15区のセーヌ川沿いで1970年代に建設された高層ビル群が小さく見えています。これはル・コルビュジエの「300万人の現代都市」的な都市計画に基づいたプロジェクトでしたが、結局こうした都市計画がパリの中心部を変貌させなかったのは、世界中の人々にとって幸運だったと言わざるをえません。ケルン市当局にも、今回の通告を重く受け止めて理性的な対応をして欲しいと望みます。

Posted at 01:19 午後    

月 - 5月 8, 2006

ラン(Laon)の魅力





連休の日曜日、ラン大聖堂の見学に行ってきました。ラン大聖堂は、僕にとっては特別な思い入れのある建築です。博士論文を執筆する前、僕はランの旧市街のホテルに1週間ほど宿泊し、毎日この大聖堂に通い詰めて論文のテーマを見いだしました。僕にとってはいわば研究者の原点となった場所なのです。
写真は、ランの駅から丘の上の大聖堂を望んだところ。



小高い丘の上に広がるランの旧市街を見下ろすラン大聖堂は12世紀後半から13世紀初頭にかけて建設された初期ゴシック建築の代表作の一つ。パリのノートル=ダムとほぼ同時期の建築です。ほとんど崖といってもいいような急斜面と城壁に囲まれた旧市街は「台地(plateau)」と呼ばれる特徴的な地形を生かした中世の町で「王冠をいただく山(montagne couronnée)」とか「平野に浮かぶ島(une île dans la plaine)」「フランスのアクロポリス(une Acropole française)」などと詩的な表現で語られます。




鉄道の駅がある新市街「下町」から山頂の旧市街までは«POMA»というモノレールのような交通システムが走っています。──が、日曜日はお休み。気が遠くなるほど長い石段と坂道を上って山頂まで歩きました。標高差は約180mだそうです。




途中、崖に咲く花を愛でながら、久々に対面する大聖堂の美しい姿を想像して、一路、山頂を目指します。




ようやく山頂までたどり着くと、古い石造りの建物が密集していて、下からはあんなによく見えていた大聖堂の姿が隠れてしまいます。




近道をして、変なところから旧市街に入ったため、旧市街のはずれの商店街は、日曜日ということもあって、静まりかえっていました。




旧市街の石畳の路地を歩いていると、突如として、路地の隙間から大聖堂が姿を現します。




1年前 には修復中だった向かって右側の塔は白く美しくなった姿を見せてくれましたが、残念ながら今度は左側の塔が足場に覆われていました。しかし、この日の僕のお目当ては、修復されて生まれ変わった右側の塔。観光案内所のガイド付きツアーでこの塔に上れるというので、インターネット経由で予約しておいたのでした。ランには何度も訪れていますが、塔に上るのはこれが初めてです。




その前に、まずは大聖堂内を見学。何度訪れても、僕にとっての原点とも言うべきこの建築の内部に入ると、研究に対する思いが強くなるように感じます。




こちらは、初めて登ったラン大聖堂の塔の上から見た風景。写真、右奥はランの「台地」の遙か下に広がるピカルディー地方の平原です。細長く広がるランの旧市街は、こうして見るとかなりの密度で建て込んでいることがよくわかります。そして、写真、左奥に2本突き出ているのが見える塔が、この日2つめの目的地。




それがこちらの旧サン=マルタン大修道院。開放されていることが少ないため、これまで一度も中に入ることのできなかった教会堂です。この日は、ついに内部の見学ができました。大聖堂の建設にわずかに遅れて建設されたこの教会堂も、初期ゴシックの美しい建築でした。




旧サン=マルタン大修道院の近くから、彼方に大聖堂を望む。いくつもの塔が林立するラン大聖堂のデザインは、その後のゴシック大聖堂のデザインに強く影響を与えたと言われます。見る方向によって、様々な表情を見せてくれるラン大聖堂。中世の旅人は、どんなに遠くからでもこの塔を目標にランを目指すことができたことでしょう。

Posted at 12:49 午前    

土 - 4月 29, 2006

ソワッソン大聖堂





この日はパリから電車で、日帰りソワッソンの旅。ソワッソン大聖堂は12〜13世紀の重要なゴシック建築なのですが、今回のフランス滞在中、まだ一度も見学していなかったところ。1年ほど前のピカルディー建築調査 に行ったときの見学スケジュールに入っていたのですが、レンタカーのパンクという予想外の事態のため見学できなかった、いわく付きのところです。




ソワッソンは観光地としてはあまり知られていませんが、だからといってこの大聖堂の美しさが劣っているというわけではありません。シャルトル大聖堂を建てた工匠たちがこの地に移動してきてこの大聖堂を手掛けたといわれるほど、その建築は完成度が高く、均整のとれた美しいプロポーションが支配する内部空間となっています。




他方、唯一12世紀の初期ゴシック時代に建てられた南袖廊では、さまざまな実験的な試みがなされており、僕の研究にとってはこの部分こそもっとも興味を引かれるところ。




大聖堂以外に、ソワッソンで忘れてはならない見所がこちら。中世のソワッソンの町には多数の大規模な教会堂が建設されていたのですが、多くは失われたり廃墟となっていたりします。写真は、そのなかでも美しい廃墟として知られる旧サン・ジャン・デ・ヴィーニュ大修道院。ファサード部分だけを残す廃墟となっているのですが、2つの尖塔は失われずにいまも天に向かって聳え立ち、薔薇窓の円がぽっかりと空を切り取っているという、ここでしか見ることのできない不思議な建築となっています。

Posted at 12:46 午前    

木 - 4月 27, 2006

ル・コルビュジエ vs. ギマール第2章





パリ16区 にはアール・ヌーヴォーの建築家エクトール・ギマール の建築が多数あることがよく知られていますが、同時に20世紀前半のモダニズム建築も数多く見られます。以前にも「ル・コルビュジエvs.ギマール」 と題して、2人の建築家の作品を同時にご紹介したことがありましたが、この日もまだ見ぬ2人の建築を見学してきました。まず最初はル・コルビュジエの集合住宅。ただし、正確にはこの建築はパリ16区からわずかにはずれて、ブーローニュ・ビヤンクール市(Boulogne-Billancourt)に位置しています。




この建築は1933年にル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレによって建設され、ル・コルビュジエは彼がこの世を去った1965年まで、この住宅で暮らしたとのことです。ファサードを飾るガラスブロックが特徴的なこのデザインは、どこかオランダのデ・ステイルを想起させるようでもあり、彼がここを終の棲家に選んだというのはちょっと意外でした。地理的にも、パリ市内のきわめて都市的な環境下というわけでもなく、かといって美しい田園風景というわけでもない、おそらく当時は新興住宅地だった辺りでしょう。なぜ彼はここを選んだのだろう?と考えながら、続いてギマールの建築へと移動しました。




こちらはギマール設計による、旧エコール・サクレ=クール(1895年)。敷地内には入ることができず、道路から遠目に眺めることしかできませんでした。特にアール・ヌーヴォーらしい建築というわけではありませんが、ファサードに用いられた斜めに上部を支える鉄骨の支柱が有名です。




この鉄骨の支柱のデザインは、ヴィオレ=ル=デュクが1872年に発表した『建築講話』第2巻の挿絵に見られるものとよく似ていることから、19世紀後半における鉄骨建築の歴史のなかで、ときどき言及されるもの。とはいえ、ギマールがこの建築の直後に手掛けたカステル・ベランジェ(1896-98年)などに比べると、アール・ヌーヴォー的な装飾の派手さは少なく、アール・ヌーヴォー好きな方には少々もの足りないかもしれません。

Posted at 05:09 午前    

木 - 4月 20, 2006

ノートル=ダムの塔の上で怪物たちに出会う



Pentax *istD + DA16-45mm

初めてノートル=ダムの塔に上り、有名な怪物たちに対面してきました。


Pentax *istD + DA16-45mm

彼らはガーゴイルとしての機能、すなわち雨樋に流れる雨水を地面に落下させる役目は果たしておらず、純粋に飾りのための怪物彫刻です。19世紀フランスの修復建築家として名高いヴィオレ=ル=デュクが、1850年頃、ノートル=ダムを修復したときにデザインしたもの。


Pentax *istD + DA16-45mm

このアングルで写真を撮ると、この怪物はあたかもエッフェル塔を眺めているかのようですが、これらの怪物彫刻がデザインされたのはエッフェル塔が建設される40年ほど前のこと。ちなみにV.ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』の出版は1831年なので、この有名な物語はヴィオレ=ル=デュクによる修復に15年ほど先行していることになります。


Pentax *istD + DA16-45mm

ヴィオレ=ル=デュクが、ユゴーのカジモドから着想を得たのかどうかはわかりませんが、この怪物たちには不思議な物語性を感じてしまいます。写真は、哀愁を漂わせた、頬杖をつく翼ある怪物の背中。


Pentax *istD + DA16-45mm

よく見ると、かなりリアルな描写でグロテスクな怪物もいます。


Pentax *istD + DA16-45mm

僕にはこの怪物が、「これがあれを滅ぼすだろう」の名ゼリフで有名な『ノートル=ダム』の司教補佐クロード・フロロに見えて仕方ありません。

Posted at 02:22 午前    

金 - 3月 31, 2006

アルフォンス・ミュシャのアール・ヌーヴォー・インテリア



Pentax *istD + DA16-45mm

以前ブリュッセル に行ったときに、その素晴らしいアール・ヌーヴォーのインテリアに感動したのが、建築家V.オルタの自邸でした。一方でパリのアール・ヌーヴォーといえば、H.ギマール がいます。ほかにもフランス東部の都市ナンシーに行けば、ナンシー派のアール・ヌーヴォーの芸術家たちの作品が多いわけですが、ナンシー派の代表格ルイ・マジョレルによるステンドグラスのドームは、パリのギャルリー・ラファイエット でも見ることができます。しかし、アルフォンス・ミュシャによるインテリア装飾がパリにあるというのは、これまでまったくノーチェックでした。


Pentax *istD + DA16-45mm

こちらがミュシャのデザインした、宝石商ジョルジュ・フーケの店舗。宝石のデザインですでにミュシャとコラボレートしていたフーケは、1901年にコンコルド広場とマドレーヌ寺院をつなぐロワイヤル通りに店を移転した際、このインテリア装飾をミュシャに依頼したそうです。


Pentax *istD + DA16-45mm

残念ながらこの店は短命に終わったようで、1923年には取り壊されてしまいます。しかし1938年にフーケ自身によって、このインテリアを構成する部材の大半がパリのカルナヴァレ美術館に寄贈されました。というわけで、この建築はカルナヴァレ美術館の内部で再構成された部屋となっているわけです。


Pentax *istD + DA16-45mm

この日は19世紀のパリのことを調べにカルナヴァレ美術館に行っていて、館内の奥の方にひっそりとたたずむこの美しい小部屋を偶然見つけたのでした。日本語のガイドブックでは見たことがないので、あまり知られてないのではないかと思いますが、おすすめです。

Posted at 08:05 午後    

水 - 3月 29, 2006

アール・ゼ・メティエ駅



Pentax *istD + DA16-45mm

メトロ11番線のアール・ゼ・メティエ駅です。ここには科学史の殿堂ともいうべき国立工芸学院 (Conservatoire national des arts et métiers)と国立工芸博物館 (Musée des arts et métiers)があり、そのイメージに似合った潜水艦の中のようなデザインの駅になっています。以前から写真を撮りたかったのですが、なかなか11番線に乗る機会がなく、ようやく写真を撮ることができました。


Pentax *istD + DA16-45mm

調べてみたところ、この駅はベルギーのアーティストFrançois Schuitenによって1994年にデザインされたもの。この人は、同じくベルギーのアーティストBenoît Peetersとともに、漫画(bande dessinée)“Les Cités obscures(暗黒都市?)”シリーズを手がけている人物だそうです。2005年に愛知県で開催された愛・地球博のベルギー館のパビリオン構成も手がけたとか。


Pentax *istD + DA16-45mm

ジュール・ヴェルヌが描いたネモ船長のノーチラス号の内部をイメージしたような駅のインテリアは、過去と未来の狭間に入り込んでしまったかのような、不思議な古いSFの世界を表現しているようです。

Posted at 08:04 午後    

金 - 3月 10, 2006

旧レ・アールと古パリ広場



Pentax *istD + TAMRON AF18-200mm F/3.5-6.3 XR

19世紀の建築家V.バルタールの代表作であるパリ中央市場(レ・アール)。1971年に取り壊され、跡地に現在のフォロム・デ・アールが建設されました。さらに2004年末にはレ・アール再開発プロジェクトのコンペも開催され、今後さらに生まれ変わる予感も。AJN(ジャン・ヌーヴェル)、OMA(レム・コールハース)、MVRDV(ウィニ・マース)といったオールスターをおさえて、コンペに勝利したのはSEURA(ダヴィッド・マンジャン)だったわけですが、2012年竣工予定でスタートしたこのプロジェクト。2012年のパリ・オリンピックが幻となったいま、果たしていつ完成することになるのでしょう。


Pentax *istD + DA16-45mm

さて、19世紀の鉄骨建築を代表する重要な建築である旧レ・アールは、1851年のロンドン万博会場となった鉄骨とガラスの博覧会建築クリスタル・パレスのような新時代の建築を、という皇帝ナポレオン3世のイニシアティブのもとで、1854年に建設が始められたもの。19世紀のフランスを代表する鉄骨造建築の一つです。1971年に取り壊されてしまいましたが、全12棟のうち1棟が1974年にパリ近郊ノジャン=シュル=マルヌの町に再建されました。その後1982年には、これが歴史的文化財(Monuments historiques)に指定。歴史的建築を記憶にとどめるために記念碑的に移築されたものが、文化財に指定されるというのは不思議な感じがします。現在は建築家の名前をとってバルタール・パヴィリオン(Pavillon Baltard)と呼ばれています。


Pentax *istD + TAMRON AF18-200mm F/3.5-6.3 XR

残念ながら建物の中には入れませんでしたが、この建築の正面に整備されている小さな広場は「古パリ広場」の名前が付けられ、ここにも19世紀のパリで活躍していたであろうストリート・ファーニチャーが並べられていました。


Pentax *istD + TAMRON AF18-200mm F/3.5-6.3 XR

手前の街灯はOudryというタイプの街灯、奥の泉はWallaceというタイプの泉。どちらも19世紀パリのもっとも典型的な鋳鉄のストリート・ファーニチャーで、パリでもしばしば見かけるもの。


Pentax *istD + TAMRON AF18-200mm F/3.5-6.3 XR

さらに写真左手に写っているのは、コロン・モリスと呼ばれる、19世紀の広告塔。現在のパリでは蛍光灯が組み込まれた光る広告塔となっていますが、これは昔ながらのポスターをベタベタと貼るタイプです。ここに貼ってあったポスターによると、1月にパヴィリオン・バルタールにてキャットショーがあったらしく、そのときに来ていれば内部に入れたということがわかりました。残念・・・


Pentax *istD + TAMRON AF18-200mm F/3.5-6.3 XR

こちらは、ベンチとゴミ箱。現在ではパリのゴミ箱は、おそらくセキュリティ上の理由からでしょうが、半透明のビニール袋が吊り下げられただけのおもしろみのないデザインになっていますが、昔はこのようなゴミ箱が使われていたのでしょうか。

Posted at 08:59 午後    

金 - 2月 24, 2006

ギマールのメトロ



Pentax *istD + DA16-45mm

よく「アール・ヌーヴォーは植物モチーフだ」などと説明されますが、ギマールのメトロの街灯をこんな風に写真で撮ってみたら、なんだか熱帯の妖しい植物のように見えてきました。


Pentax *istD + DA16-45mm

こういう柵も、写真の撮り方によっては、おもしろい見え方になりそうな気がします。


Pentax *istD + DA16-45mm

これは有名ですが、いったいなんのモチーフなんでしょう?


Pentax *istD + DA16-45mm

メトロの駅名と路線図が掲示された看板。看板を照らすランプのランプシェードも、よく見るとアール・ヌーヴォーらしいデザインになっています。




と、改めてギマールのメトロの写真を載せたのは、実は、建築家エクトール・ギマールの作品に関する啓蒙と保護の活動を行っている「ギマール・サークル」(Le Cercle Guimard)から、このサークルのホームページ(http://www.lecercleguimard.com/)の紹介を依頼されたため。興味がある方はご覧ください。現在はフランス語ページしか動いていないようです。

Posted at 09:33 午後    

水 - 2月 15, 2006

サン=ジェルマン=デ=プレ教会堂



Pentax *istD + Flektogon 20mm/f2.8

前日に見学したポントワーズ大聖堂の周歩廊部分と、ほぼ同時期に建設されたパリのサン=ジェルマン=デ=プレ教会堂。記憶が新しいうちに比較しておこうと、久々に内部をじっくりと見学してきました。


Pentax *istD + Flektogon 20mm/f2.8

やはりこの教会堂の多色彩の装飾は美しいです。金色に彩色された、天井のリブとそれを受ける細いシャフトは、石材としての物質性を失い、金属の針金のような軽さで天井を支えているように見えます。


Pentax *istD + Flektogon 20mm/f2.8

彩色されていない放射状チャペルでは、この建築が石造であることを再認識させられます。それにしてもリブを受けているのはやはり、極限まで繊細化された細いシャフト。このシャフトの細さが、ゴシック建築の内部空間を軽快なものにしているわけです。

Posted at 07:08 午後    



























































































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