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工部美術学校旧蔵石膏像

侯ケレル女史像(V. Ragusa)

侯ケレル女史像(Vincenzo Ragusa)
工学寮には「欧州近世の技術」を「百工の補助」とするための美術校(後の工部美術学校)も明治9年に設けられる。工学校はイギリス人教師で占められるが、美術学校はイタリア人教師を迎え開校した。しかし当初の構想は叶うことなく、いくつかの事情が重なり、明治16年には最後の画学科生徒が修業して廃校とななる。
この廃校を受け、工部大学校に工部美術学校の教材や制作品が移管され、工部大学校の後継機関である工科大学時代に造家学科(現在の建築学専攻)の管理となった。
彫刻科の資料として、イタリアから将来した石膏像のほか、御雇外国人教師ヴィンチェンツォ・ラグーザの「侯ケレル女史像」(明治11年)や、学生であった小栗令裕の在学中の作品である「欧州婦人アリアンヌ半身」(明治12年)(第2回内国勧業博覧会出品)、大熊氏廣の卒業制作である「破牢(スパルタアニベーラ全身)」(明治15年)などを所蔵する。また画学科の教育資料としては、模写の手本とした画手本や解剖図のほか、工部美術学校廃校後は工部大学校博物場に勤務し、後に工科大学造家学科において自在画を教授した曽山幸彦によるコンテ画「弓術之図(弓を引く人)」(明治14年)(第2回内国勧業博覧会出品)などがある。

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