ゴシック様式の誕生と、建築における《軽さ》の発明
──重量を感じさせない視覚のトリック──
ゴシック様式は、西洋の建築様式のなかでも古典主義様式と比肩される建築様式である。様式建築における二項対立の一方の極であるともいえよう。特にその空間の特質は、驚くべき細さの支柱で軽々と支えられた軽快さに見出すことができる(図1 )。
加藤のゴシック研究におけるアプローチは、二大様式の一翼を担うこととなったゴシック様式の誕生時に焦点を定め、そこでの支柱の構法がそれ以前の組積造とは大きく異なるものであることに着目するものである。その構法ゆえにゴシック様式はそれ以前に存在したいかなる建築様式とも一線を画しうるし、またその発明ゆえにゴシック特有の空間の質を獲得しえたと考えることができる。
過去のゴシック研究においてはほとんど注意を払われてこなかった「アン・デリ」と呼ばれる構法がゴシック様式の誕生とともに登場したことが、ゴシック建築における《軽快な》空間の質が誕生する契機となった、とするのが加藤のゴシック研究における基本的な立場である。
アン・デリとは、細長い丸棒状のモノリスの石材を用いる構法を指し、切石の石材を積層する成層石積みと区別される(図2 )。ゴシック様式の誕生以前からすでに用いられていた「リブ・ヴォールト」と呼ばれる天井を支える骨組みと、「アン・デリのシャフト」とがサン=ドニ大修道院において初めて組み合わされたことによって(図3 )、ゴシック様式が誕生したと明言することすら可能であろう。リブ・ヴォールト自体は、サン=ドニにおいてゴシック様式が誕生する以前から、ノルマン・ロマネスク様式の建築ですでに用いられていた。しかしそこでは、リブ・ヴォールトは持ち送りで受けられるのみで、垂直部材であるシャフトと結びつけられていないか(図4 )、あるいは細いシャフトに分割されない太い大円柱で直接受けられることが多かった(図5 )。これに対して、サン=ドニを建設した建築工匠は、細いリブ・ヴォールトの各々に1本ずつのアン・デリの細円柱を対応させることによって、建築における重力の流れを視覚化することに成功した(図6 )。こうしてゴシック建築の内部空間を明快に支配するようになったリニアリティ(線条性)は、それが実際には巨大な石材を積み重ねた恐るべき重量を有する建築であるにもかかわらず、その重量を意識の外に追いやることを可能にせしめたのである。(図7 )。
はたしてこのような空間を創造した中世の建築工匠たちは、そうした効果を意識的に生み出そうとしたのであろうか。この疑問に対して、アン・デリに関する研究は一縷の光明となりうる。なぜならアン・デリのシャフトは、ほかの組積造部分が組み上がってから、そのシャフトが支えるはずの骨組みの下に後から挿入されるからである(図8 )。すなわちアン・デリのシャフトは、幾ばくかの構造的な効果を有するとしても、主要な構造体ではありえない。それどころか、このような構法を考案した中世の建築工匠たちは、構造的配慮ではなく、もっぱら視覚的配慮(というのも妙な言い方だが)によって、アン・デリのシャフトを用いたと結論づけることも可能であろう。ゴシック建築の軽快さは、中世の工匠たちによる視覚トリックの追求によって誕生したと考えることができるのである。
アン・デリのシャフトが構造的要素ではなく、視覚的要素であるということは、サン=ドニとほぼ同時期、あるいは僅かに先行して建設されたゴシック黎明期の重要な建築であるサンス大聖堂を見ても明らかである。サンス大聖堂がその側廊部分から建設を開始したとき、それを手掛けた建築工匠たちはゴシックにおけるリニアリティが及ぼす視覚的効果を十分に理解していなかったと考えられる(図9 )。そのため、リブ・ヴォールトはロマネスク的な彫刻の施された持ち送りで受けられるのみであり、それを支える細いシャフトは存在しない。このことからも、アン・デリのシャフトは構造的に不可欠な要素ではないと結論づけられる。
「建築家」というよりは「職人」あるいはせいぜい「棟梁」として捉えられがちな中世の建築工匠たちが、こうした視覚的効果を狙って空間をデザインしていたということは、にわかには信じがたいかもしれない。だが「アン・デリ」という《非構造的》部材を、リブ・ヴォールトの支えとなる位置に設置し、あたかも《構造的》であるかのごとく用いることで、信じられないほど細い柱が軽々と空間を支持しているように見えるという視覚のトリックにより、ゴシックの内部空間が誕生したわけである(図10 )。
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