ゴシック建築とパサージュ







最近、自分自身のなかで、ゴシック建築に対する興味とパサージュに対する興味のバランスが微妙です。冬のあいだ、なかなか地方のゴシック教会堂を見学に行くことができず資料調査に終始しているのに対して、パサージュの方は街に出れば空間そのものを体験することができるわけで、パサージュのウェイトが上がり気味です。果たして、ゴシック研究とパサージュ研究は両立するのか?というのが今日のテーマ。ベンヤミンは、「たくさんの小聖堂のある教会の身廊としてのパサージュ」という表現をしています。写真はサン=ドニの周歩廊とギャルリー・ヴィヴィエンヌ。






写真はオーセール大聖堂の周歩廊放射状祭室と、アンリ・ラブルーストの旧国立図書館閲覧室。ラブルーストが鉄骨という19世紀の新しい材料を用いて実現した、驚くほど細い支柱で軽々と天井のドームを支える空間を、すでに中世の建築工匠たちは、石材によって実現しています。このような、モノリスの石材を細く整形して支柱として用いるデザインは、サン=ドニの周歩廊で初めて登場します。このような技術は「アン・デリ」と呼ばれ僕の中心的な研究テーマになっています。






ゴシック建築の作り出す空間と19世紀の鉄骨とガラスの建築が作り出す空間は、よく似ているといえるでしょう。

「1878年頃、人々は鉄骨の建築に救いを見いだしたと思った。サロモン・レーナック氏が言うような、垂直への憧れ、中身の詰まったものに対する空っぽなものの優越、そして外から見える骨組みの軽やかさは、一つの様式が生まれようとしているという期待を抱かせた。この様式の中に、ゴシック精神の主要なものが、新しい精神と新しい素材によって蘇るかもしれないというのである。〔ところが〕技師たちが1889年に機械館とエッフェル塔を打ち立てたとき、人々は鉄の芸術に見切りをつけてしまった。だがたぶん、その判断は早すぎた。」デュベック/デスプゼル『パリの歴史』パリ、1926年、464ページ [F4a,5]  (W・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波現代文庫より)





パサージュの原型といえるものは18世紀の末に登場しますが、鉄骨とガラスが用いられるパサージュは19世紀に入ってから登場します。その後、鉄骨造の建築は急増しますが、なかでもそれを芸術の域にまで高めたのは、旧国立図書館閲覧室、そして写真のサント=ジュヌヴィエーヴ図書館の設計者アンリ・ラブルーストでしょう。

「・・・略・・・このジャンルでは、まず初めに、さまざまな意味で注目すべき二つの作品、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館と中央市場(レ・アール)の名をあげておかねばならない。中央市場は・・・真の典型となり、そのコピーがパリやその他の都市で繰り返し建造されて、まるでかつてのわれわれのカテドラルのゴシック様式のように、フランス中に広まり始めたのだった。・・・略・・・」 (ベンヤミン『パサージュ論』[F1a,3]より抜粋)

いま、僕が興味をもっているのはパサージュの起源。オリエントのバザールを重視する向きもあるようですが、ベンヤミンは「最初の百貨店は東方のバザールに倣っていたように思われる」としています。そういえばパリにはバザール・ド・ロテル・ド・ヴィル(BHV)というデパート(1856年創業)があり、ここには確かに「バザール」の言葉が使われています。はたしてオリエントの市場空間からの影響は本当にあったのでしょうか。

Posted: 木 - 1月 27, 2005 at 07:26 午前          


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