「1878年頃、人々は鉄骨の建築に救いを見いだしたと思った。サロモン・レーナック氏が言うような、垂直への憧れ、中身の詰まったものに対する空っぽなものの優越、そして外から見える骨組みの軽やかさは、一つの様式が生まれようとしているという期待を抱かせた。この様式の中に、ゴシック精神の主要なものが、新しい精神と新しい素材によって蘇るかもしれないというのである。〔ところが〕技師たちが1889年に機械館とエッフェル塔を打ち立てたとき、人々は鉄の芸術に見切りをつけてしまった。だがたぶん、その判断は早すぎた。」デュベック/デスプゼル『パリの歴史』パリ、1926年、464ページ [F4a,5] (W・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波現代文庫より)
「・・・略・・・このジャンルでは、まず初めに、さまざまな意味で注目すべき二つの作品、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館と中央市場(レ・アール)の名をあげておかねばならない。中央市場は・・・真の典型となり、そのコピーがパリやその他の都市で繰り返し建造されて、まるでかつてのわれわれのカテドラルのゴシック様式のように、フランス中に広まり始めたのだった。・・・略・・・」 (ベンヤミン『パサージュ論』[F1a,3]より抜粋)