土 - 1月 19, 2008

ル・コルビュジエ全作品ガイドブック





東京大学教授の加藤道夫先生による監訳、『ル・コルビュジエ全作品ガイドブック』が1月末に発行されます。目次は以下の通り。

1.パリ
2.フランス
3.スイス
4.ヨーロッパ
5.南北アメリカ
6.インド
7.その他(チュニジア、イラク、ロシア、日本)

かくいう僕も、第1章のパリ編の翻訳を担当させていただきました。パリとその周辺には、意外とたくさんのル・コルビュジエ作品があり、久々にパリの地図を片手にガイドブックの翻訳をするのは、懐かしく楽しい体験でした。
建築の詳細な情報はもちろん、見学するうえで必要な情報も満載の本書は、ル・コルビュジエ巡礼をしたい建築ファンには、とても便利な1冊だと思います。



Posted at 11:37 午前    

月 - 1月 7, 2008

国立西洋美術館





ル・コルビュジエが設計した上野の国立西洋美術館が、日本政府によって世界遺産に推薦されることが1月7日に正式決定しました。昨年の12月21日に、国の重要文化財に指定されたばかりです。

今回の世界遺産への推薦はフランス政府が主体となってすすめているもので、世界中に点在する一人の建築家の作品群として、世界7カ国、全23作品まとめての推薦であり、ユネスコの世界遺産のなかでも初めての試みとなります。


推薦されるル・コルビュジエの作品リストは以下の通り。

アトリエ・住宅
1926 Maison Guiette, Anvers, Belgique
1926 Maison Cook, Boulogne-sur-Seine, France
個人住宅
1912 Maison Jeanneret-Perret, La Chaux-de-Fonds, Suisse
1916 Maison Schwob, La Chaux-de-Fonds, Suisse
1923 Maisons La Roche et Jeanneret, Paris, France
1923 Villa le Lac, Corseaux, Suisse
1928 Villa Savoye, Poissy, France
1949 Maison du Docteur Curutchet, La Plata, Argentine
1951 Maisons Jaoul –Neuilly-sur-Seine – France
標準化住宅
1924 Cité Frugès, Pessac, France
1927 Maisons du Weissenhof-Siedlung, Stuttgart, Allemagne
1951 Cabanon de Le Corbusier, Roquebrune-Cap-Martin, France
集合住宅
1929 Cité de refuge de l’Armée du Salut, Paris, France
1930 Immeuble Clarté, Genève, Suisse
1930 Pavillon Suisse à la Cité universitaire, Paris, France
1931 Immeuble Molitor / Appartement LC, Paris, France
1945 Unité d’habitation, Marseille, France
宗教建築
1950 Chapelle Notre-Dame-du-Haut, Ronchamp, France
1953 Couvent Sainte-Marie-de-la-Tourette, Eveux-sur-Arbresle, France
巨大プログラム
1946 Usine Claude et Duval, Saint-Dié, France
1957 Musée des beaux Arts de l’Occident, Tokyo, Japon
都市計画
1953-1965 Site de Firminy-Vert, Firminy, France
1950-1965 Chandigarh / plan, espaces publics, Capitole Chandigarh, Penjab, Inde


昨年の後半は、国立西洋美術館の文化財としての価値を明らかにするために、日本建築学会に結成された「国立西洋美術館 歴史調査WG」の一員として、僕自身もこの建築のための報告書作成に追われていたため、今回の決定は嬉しい限りです。



追記(2/5):
フランス政府が2月1日に、「ル・コルビュジエの建築と都市計画」とする世界文化遺産への推薦書をユネスコに提出しました。

上記リストのうち23作品目にあるインドのチャンディガールは、インド側の準備が間に合わず参加を見合わせたとのことで、結局、世界6カ国、22作品での推薦となりました。今年(2008年)の夏から秋にかけて国際記念物遺跡会議(ICOMOS)による現地調査があり、来年(2009年)の夏に開催される第33回世界遺産委員会において、世界遺産リストへの記載の可否が決定されることになります。

Posted at 01:37 午後    

火 - 7月 25, 2006

『レオナルド・ダ・ヴィンチが遺した宝物』





以前 にも「世界の研究室から」というページでお世話になった雑誌『日経サイエンス』 にて、書評を執筆させていただきました。




今回、ご紹介させていただいたのは『レオナルド・ダ・ヴィンチが遺した宝物』という本。有名なレオナルドの手稿や手紙のレプリカが、ページに貼りつけられた封筒やポケットの中に収められているという、遊び心に富んだレオナルドの入門書です。


Posted at 09:51 午前    

日 - 10月 30, 2005

ゴシック建築DB・マップ検索





久々にホームページ上のゴシック建築データベースに手を入れ、念願の地図からの検索システムを一通り完成させました。地図が網羅しているのは、僕の研究テーマである北フランスが中心なので、フランス全土のデータベースにはなっていませんが、その分、小さな村の教会堂も検索することができます。
フランス滞在中に終わらせなければいけない悉皆調査のために、どこに行かなければならないか明確になってきました。

ゴシック建築DBへは「ゴシック建築のページ 」からどうぞ。

Posted at 11:40 午後    

水 - 6月 15, 2005

10+1(テン・プラス・ワン)



10+1 Web Site


INAX出版より刊行されている、都市・建築論を取り扱った雑誌『10+1』のweb siteにて、フランス・ゴシック建築の写真をご紹介させて頂きました。五十嵐太郎さん発案による、《建築Photo Archives》 にて。




あわせて、僕自身のゴシック建築DB を少し整理しました。最近、見学に行った建築の写真を追加して、現在のところ約50ページほどのデータシートになっています。よろしければ、ご覧ください。

Posted at 03:39 午前    

水 - 5月 11, 2005

カンファレンス



Pentax *istD + Industar-22 50mm/f3.5

今日はベルヴィルの建築大学にて、日本からいらっしゃったN先生の講演会がありました。午前の部と午後の部の2本立て。珍しく早起きして講演を聞きに行って、そのまま夜も晩ご飯をご一緒させて頂きました。久々に色々と話を聞かせて頂き、刺激を受けました。


Pentax *istD + Industar-22 50mm/f3.5

今日は写真がなかったので、これは昨日撮ったもの。レンズのフランジバックというものの意味が初めてわかりました。無限遠にあわせてもこの距離です。Industar-22はライカのエルマーをコピーした沈胴レンズなので、少し沈胴させるともう少し撮影距離が伸びますが、ミラーにぶつかりそうで怖いのでやめておきます。

Posted at 07:27 午前    

水 - 3月 9, 2005

北イル=ド=フランス調査終了





昨夜、無事に調査から帰ってきました。2日間、天気には恵まれましたが、寒さはかなり厳しいものでした。教会堂の内部は冷蔵庫の中のようで、冷たい石にじわじわと体温を奪われていく感じ。写真撮影、スケッチ、実測などの作業を機械的にこなしていくのが精一杯で、ほとんど思考停止していたような気がします。さらに、いくつかの教会は扉が閉ざされ中に入ることができず、調査としては必要最低限をなんとかクリアといったレベル。そのかわりと言ってはなんですが、旅そのものは素晴らしいものでした。早くご報告したいのですが、まだ写真整理が終わっていないため、詳しいご報告は明日以降になりそうです。
今日の写真は、今回撮影したノワイヨン大聖堂のガーゴイル。ガーゴイルというのは、本来、雨だれが建物を傷つけないように雨樋の水を建物から離して排出するシステムで、雨樋を流れる水がこの怪物の口から吐き出されるというもの。それが寒さのために氷柱となっていました。怪物のヨダレも凍る寒さというわけです。

Posted at 07:53 午前    

金 - 2月 11, 2005

2学期





今日から所属研究室のゼミが再開され、2学期(後期)がスタートしました。前期はドクター論文を準備している学生たちが順に研究発表をするスタイルでしたが、今期はD・サンドロン教授自らの研究発表やゲストによる発表、他に建築見学などのコンテンツとなるようです。今日は早速、サンドロン教授によるストラスブール大聖堂のファサード論。昨年のクリスマスにストラスブール に行っておいて良かった!僕自身クリスマスに初めてストラスブールを訪れて、そのファサードの美しさに衝撃を受けたわけですが(詳しくはフォトギャラリー参照)、そのファサードの構成の秘密が解き明かされていくような今日の講義は聴いていてゾクゾクするようでした。




この1ヶ月ほど、パサージュの方に僕自身の興味が傾いてしまっていましたが、一昨日のエルランド=ブランダンビュールのサン=ドニ論、今日のサンドロンのストラスブール論を聴いて、すっかりゴシック熱が舞い戻ってきました。我ながら単純な性格だと思います。写真は、今日のゼミの行き帰りに撮ったもの。2枚目はフランス風駄菓子屋といった風情の店のショーウィンドウです。

Posted at 08:08 午前    

水 - 2月 9, 2005

Alain Erlande-Brandenburg@Saint-Denis





今日は、写真のサン=ドニの隣のMaison d'éducation de la Légion d'Honneurにて、ゴシック建築研究の碩学Alain Erlande-Brandenburgの講演会がありました。題目は「大修道院長シュジェールによる新しいサン=ドニ大修道院」。彼はフランスにおけるゴシック研究の一方の中心的な存在で、もう一方の中心が僕の所属する研究室Centre André Chastelということになります。Centre André Chastelの歴代教授たちにはH・フォシヨン、L・グロデッキ、A・プラーシュといった錚々たるメンバーが名を連ね、現在のD・サンドロンに至るまで中世建築研究の王道といえますが、パリの国立古文書学校(Ecole Nationale des Chartes)系のA・エルランド=ブランダンビュールもまた、きわめて多数のゴシック建築に関する研究書を発表している大先生であるわけです。

サン=ドニを夜に訪れたのは初めてでしたが、屋根がブルーにライト・アップされているのには驚きました。




会場となったMaison d'éducation de la Légion d'Honneurはサン=ドニに隣接していて、その中庭からはサン=ドニの側面が見えました。身廊の屋根もブルーにライト・アップされています。また、今まで知らなかったのですが、このMaison d'éducation de la Légion d'Honneurというのは女子学生たちの寄宿学校になっているようで、講演会に出席するために僕が中に入った夕方6:30には、ちょうど彼女たちは大食堂で食事をしていて、講演会が終わった夜8:30には礼拝堂にて夜の礼拝をしていました。中庭を中心に配する石造りの建物の中で生活する彼女たちは、通俗的に例えれば映画ハリー・ポッターの中の世界の住民のようにも見え、日本人の僕の目には現実のものとは思えないほどでした。さすがにカメラを向けるのは憚られたので写真はありません。
ここは、かつてはサン=ドニ大修道院の修道院施設があったところで、中世には修道士たちが生活していた場でもあります。ハリー・ポッターを例に出すまでもなく、中世に思いを馳せてもやはり、なんだか幻を見たような気分がしてくるのでした。

Posted at 09:38 午前    

木 - 1月 27, 2005

ゴシック建築とパサージュ







最近、自分自身のなかで、ゴシック建築に対する興味とパサージュに対する興味のバランスが微妙です。冬のあいだ、なかなか地方のゴシック教会堂を見学に行くことができず資料調査に終始しているのに対して、パサージュの方は街に出れば空間そのものを体験することができるわけで、パサージュのウェイトが上がり気味です。果たして、ゴシック研究とパサージュ研究は両立するのか?というのが今日のテーマ。ベンヤミンは、「たくさんの小聖堂のある教会の身廊としてのパサージュ」という表現をしています。写真はサン=ドニの周歩廊とギャルリー・ヴィヴィエンヌ。






写真はオーセール大聖堂の周歩廊放射状祭室と、アンリ・ラブルーストの旧国立図書館閲覧室。ラブルーストが鉄骨という19世紀の新しい材料を用いて実現した、驚くほど細い支柱で軽々と天井のドームを支える空間を、すでに中世の建築工匠たちは、石材によって実現しています。このような、モノリスの石材を細く整形して支柱として用いるデザインは、サン=ドニの周歩廊で初めて登場します。このような技術は「アン・デリ」と呼ばれ僕の中心的な研究テーマになっています。






ゴシック建築の作り出す空間と19世紀の鉄骨とガラスの建築が作り出す空間は、よく似ているといえるでしょう。

「1878年頃、人々は鉄骨の建築に救いを見いだしたと思った。サロモン・レーナック氏が言うような、垂直への憧れ、中身の詰まったものに対する空っぽなものの優越、そして外から見える骨組みの軽やかさは、一つの様式が生まれようとしているという期待を抱かせた。この様式の中に、ゴシック精神の主要なものが、新しい精神と新しい素材によって蘇るかもしれないというのである。〔ところが〕技師たちが1889年に機械館とエッフェル塔を打ち立てたとき、人々は鉄の芸術に見切りをつけてしまった。だがたぶん、その判断は早すぎた。」デュベック/デスプゼル『パリの歴史』パリ、1926年、464ページ [F4a,5]  (W・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波現代文庫より)





パサージュの原型といえるものは18世紀の末に登場しますが、鉄骨とガラスが用いられるパサージュは19世紀に入ってから登場します。その後、鉄骨造の建築は急増しますが、なかでもそれを芸術の域にまで高めたのは、旧国立図書館閲覧室、そして写真のサント=ジュヌヴィエーヴ図書館の設計者アンリ・ラブルーストでしょう。

「・・・略・・・このジャンルでは、まず初めに、さまざまな意味で注目すべき二つの作品、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館と中央市場(レ・アール)の名をあげておかねばならない。中央市場は・・・真の典型となり、そのコピーがパリやその他の都市で繰り返し建造されて、まるでかつてのわれわれのカテドラルのゴシック様式のように、フランス中に広まり始めたのだった。・・・略・・・」 (ベンヤミン『パサージュ論』[F1a,3]より抜粋)

いま、僕が興味をもっているのはパサージュの起源。オリエントのバザールを重視する向きもあるようですが、ベンヤミンは「最初の百貨店は東方のバザールに倣っていたように思われる」としています。そういえばパリにはバザール・ド・ロテル・ド・ヴィル(BHV)というデパート(1856年創業)があり、ここには確かに「バザール」の言葉が使われています。はたしてオリエントの市場空間からの影響は本当にあったのでしょうか。

Posted at 07:26 午前    











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