Cour des Miracles





最近、ベンヤミンの『パサージュ論』を読み返しています。パリに来て、色々なパサージュを歩き回ったり写真を撮ったりしていますが、改めて『パサージュ論』を読むと、なおいっそうパサージュの虜になりそうです。

今日は面白い発見がありました。話が飛びますが、ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』(辻昶・松下和則訳、潮出版、2000年)に「奇跡御殿」という場所が出てきます。ユゴーを引用すると、以下のような場所です。


「哀れな詩人はあたりを見まわした。なるほど、彼はあの恐ろしい「奇跡御殿」にきてしまっていたのだ。まともな人間なら、こんな時間にはけっして足を踏みいれたことのないところだ。大胆不敵な手入れを行ったシャトレの役人たちやパリ奉行の手の者が、散り散りになって消えてしまった不思議な一画だ。泥棒どものまちなのであり、パリの顔にできた醜いいぼなのだ。都のまちまちにいつも溢れ出る悪人や、物乞いや、宿無しの流れが朝な夕な流れ出ては、夜になると戻ってきて、悪臭をはなちながらよどむ下水なのだ。社会秩序をかきみだすあらゆるモンスズメバチが、夕方になると獲物をくわえて帰ってくる恐ろしい巣なのだ・・・」

訳注によれば、ここは「13世紀以来、パリの泥棒や物乞いたちの巣窟となっていた区画。夜になると昼間のつくり傷や身体の悪いふりの変装を取りさって健常者となるので、この名ができた」という場所。僕は何故か、かの有名な『ノートル=ダム』のなかで、このシーンが印象に強く残っていて、「いったいこの《奇跡御殿》というのはどこにあったんだろう。どんな建築だったんだろう。」と、ずっと頭のどこかで考えていました。ところが今日、ベンヤミンを読んでいてこれが解決したのです。


パサージュ・デュ・ケールにある、ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』で有名なクール・デ・ミラクル〔「奇跡小路」──乞食や泥棒などの集まる場所〕と呼ばれるドヤ街の他にも、いくつかのクール・デ・ミラクルがある。・・・後略  [C3,7](W・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波現代文庫より)

〔 〕内は翻訳者の今村仁司さんらの訳注ですので、もちろんご存じの方は当然ご存じだったのでしょうが、僕には長年の謎が解けて目から鱗が落ちる思いでした。"cour"というフランス語は(英語の"court"でもいいですが)、辞書を引いても「中庭、宮廷、法廷」など意味が多岐にわたっていて、なかなか地名として出てくる「袋小路」にたどり着くのは難しいですね。僕自身、Cour du Commerce St-Andréや、Cour de Rohan などの"cour"を見て歩いていたので、最近になってようやく、ベンヤミンが『パサージュ論』の中で"cour"を採り上げる意味もわかるようになりました。

というわけで、今日の写真は昨年の秋に撮影したパサージュ・デュ・ケール 。時間を見つけて、今度はその隣にあったというCour des Miraclesの名残を探しに行きたいと思います。

Posted: 日 - 1月 23, 2005 at 07:46 午前          


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