19世紀の2つの教会堂



Pentax *istD + DA16-45mm

パリ9区にある2つの教会堂を見てきました。一つめは写真のノートル=ダム=ド=ロレット教会堂。建築家イポリット・ルバによる1823年の作品。新古典主義の建築です。


Pentax *istD + DA16-45mm

内部の装飾はとてもきらびやかで、純白のイオニア式円柱と壁画、そして豊かな天井装飾が華やかな雰囲気を作り出しています。


Pentax *istD + DA16-45mm

W・ベンヤミンはこの教会堂に、パサージュとのつながりを見いだしています。

パサージュの夢の家は、教会の中にも見出される。パサージュの建築様式の宗教建築への波及。ノートル・ダム・ド・ロレットについて。「この建物の内部の趣味が極めて上品なのは争う余地のないことである。ただその内部は教会らしくはない。壮麗な天井は、この世でもっとも華やかな舞踏会用ホールを飾るのにふさわしいだろう。色とりどりにつやを消して仕上げられたガラス玉のついた優美なブロンズのランプは、街のこの上なく優雅な喫茶店から調達したもののようでもある。」S.F.ラールス<?>「パリからの手紙」(『ヨーロッパ──教養世界の年代記』II、1837年、ライプツィヒ/シュトゥットガルト、p.209)[L2,4](W・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波現代文庫より)

Pentax *istD + DA16-45mm

おそらく、ここで書かれた「色とりどりにつやを消して仕上げられたガラス玉のついた優美なブロンズのランプ」というのは、入口の所に設置された、このランプのことだと思われます。ところが、その脇のアーチが壊れており、せっかくの優美な雰囲気が台無しに。なぜアーチがこのように崩落してしまったのかわかりませんが、現在は木の仮枠で固定されています。


Pentax *istD + DA16-45mm

さて、この日訪れたもう一つの教会堂がこちら。サントゥージェーヌ=サント=セシル教会堂。ノートル=ダム=ド=ロレット教会堂とは対照的な鉄骨によるゴシック・リバイバルの建築で、建築家ルイ=オーギュスト・ボワローによる1854年の作品です。鉄骨造とは思えない、きわめてよくできたゴシック空間で、写真に写っている緑色の円柱など、軽く叩いてみてようやく鉄骨であることを納得したほど。円柱のデザインにかぎらず、本来石造であるはずのゴシック建築のデザインを鉄骨という新しい建築材料で、驚くほど上手に模倣しています。鉄骨造なればこそ、この軽快な構造がもたらす空間に驚かされることはありませんが、中世の建築工匠たちがこれと同じ質を持った空間を石を積み上げることで完成させたのだと思うと、改めて中世のゴシック建築の魅力にとりつかれそうです。


Pentax *istD + DA16-45mm

この教会堂を設計した建築家ルイ=オーギュスト・ボワロー(1812-1896)のことを、僕はパリ6区の老舗デパート、ボン・マルシェの建築家と同一人物だと思っていました。19世紀における鉄骨の建築家といえば、技師エッフェルと共にボン・マルシェを設計した建築家ボワローは、はずすことのできない存在。ところが調べてみるとボン・マルシェを設計したのはルイ=オーギュストの息子、ルイ=シャルル・ボワロー(1837-1914)でした。さらにその息子ルイ=イポリット・ボワロー(1878-1948)もまた、ボン・マルシェの新館を担当した建築家とのこと。親子3代にわたる建築家ファミリーだったというわけです。


Pentax *istD + DA16-45mm

最近購入した『鉄骨に関する論争:ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク対ルイ=オーギュスト・ボワロー』という本には、この教会堂の細部を説明するボワロー自身が描いた図面が載っていて、これを見るとこの教会堂が本当に鉄骨で作られているのだということがよくわかります。ヴィオレ=ル=デュク(1814-79)とルイ=オーギュスト・ボワロー(1812-1896)という、同世代の二人がともに鉄骨とゴシック建築との融合を試みていたということは、僕にとって興味深いところ。まだ図版を眺めただけのこの本を、これからじっくり読んでみることにします。

Posted: 水 - 5月 18, 2005 at 07:43 午後          


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