建築〜修復〜骨董〜装飾



Pentax *istD + Biotar 58mm/f2

ここ数日、家での作業が続いていて外に出ていません。最近ヴィオレ=ル=デュクの『中世建築事典』を入手して、これに没頭する日々が続いています。ヴィオレ=ル=デュクという人物は19世紀の建築家で、当時フランス全土の中世建築が廃墟と化していたのを、ほとんどすべてと言ってもよいほどの勢いで、フランス中を駆けめぐって修復した修復建築家として知られています。


Pentax *istD + DA16-45mm(2004.08.01)

ヴィオレ=ル=デュクの修復手法には色々と問題も多く、例えば上の写真のピエールフォン城では、城内の礼拝堂の入口の、普通ならばキリストかマリア像がくるところに(写真右)、自分自身の彫像を飾ってしまうというようなことをしばしば行っています(ご丁寧に足下には"Viollet-le-Duc arch."と自分の名前と職業まで彫り込んでいます)。こうしたちょっとした《いたずら心》ともいうべき実例以上に、彼が批判されるのは、その「創造的復元」ともいうべき手法ゆえでした。

ピエールフォン城の修復は歴史的価値だけを重視する人々にとっては実に忌まわしい例であった。完全な形で残っている中世城塞建築がもはや存在しないフランスにおいて、もしピエールフォン城の修復が慎重に行われたならば、きっと貴重な資料になったに違いないからである。しかし現実には、皇帝夫妻の離宮として供されるのが目的で再建されたのである。そのためにヴィオレ・ル・デュクは後世の人々の最大の非難を浴びることとなるのである。(羽生修二『ヴィオレ・ル・デュク[歴史再生のラショナリスト]』鹿島出版会、SD選書、1992年)

とはいえ、そのまま放置していればそう長くは残っていなかったであろう多数の中世建築を、今も見ることができるのは、ヴィオレ=ル=デュクのおかげともいえるわけです。その多数の修復経験から中世建築のことを知り尽くしたヴィオレ=ル=デュクが著した『中世建築事典』は全10巻、総ページ数5000ページにも及ぼうかという大著で、ゴシック建築を専門とする僕にとってはやはりバイブル的存在。以前は図書館に行っては必要な項目を調べるという使い方だったのですが、ついに手元に置くことができたので、自分の研究に関係するところを端から読むことを始めました。


Pentax *istD + Biotar 58mm/f2

というわけで外出先での写真がないないため、今日は少し前にbrocanteur(古物商/骨董屋)から買った古いランプを写真に撮ってみました。店の人は19世紀のものだと説明していましたが、真偽の程は定かではありません。それにしてもフランス人は古物/骨董の売買が大好きなようで、パリを歩いていても至るところで"brocante"とか"antiquité"の看板を目にします。初めのうちは、そういうお店にはいかにもお宝然とした《骨董品》が鎮座ましましているのだろうと思って敬遠していたのですが、どうやら実際に多くのフランス人たちが買っていくのは、もっとガラクタめいたものなのではないかという気が、最近になってしてきました。彼らはそういう壊れたガラクタをオブジェとして飾ってみたり、修理して使ったりしているようです。


Pentax *istD + DA16-45mm(2004.12.05)

そうやって壊れたガラクタを修理する時に大活躍するのが写真のBHV(ベー・アッシュ・ヴェー)というデパート。パリの他のデパートとはちょっと一線を画するこのデパートは、さながら東急ハンズからおしゃれさを取り除いて、より実用をきわめたといった感じのお店です。というわけで、なんとなく「日曜大工のためのデパート」というイメージがあったのですが、実は古いものの修理のためにもなくてはならない存在だということが最近になってわかってきました(まあ、それは東急ハンズも同じかもしれませんが)。


Pentax *istD + Biotar 58mm/f2

例えばこの電灯。我が家の玄関を入ったところにあるのですが、うちは「家具付き」アパートを借りていて、このランプは大家さんの所有。これが先日、壊れてしまいました。切れた電球を取り替えようと電球を取り外したところ、ソケットの部分が黒焦げになってグズグズと崩れてしまったのです。日本で暮らしていた頃だったら、「もう寿命だな」とでも言って無印良品にでも新しい電灯を買いに行きそうな事態ですが、如何せん、これは大家さんのもの。勝手に捨てるわけにもいかず、かといって交渉するのも面倒なので、なんとか直してみようと分解してみました。焦げたソケットとコードの部分を取り外してBHVに同じものを探しに行ったところ、店員のおじさんは「あぁ、これだね」と、ろくに見もせずに選んでくれました。店員の見立ては正しく、結局わずか300円程度の出費でランプは復活しました。
たいした話ではありませんが、これは僕にとってはなかなか面白い事件でした。こういう風にフランス人は《ものを捨てない》生き方をしているのかな、と考えさせられたというわけで。そういえば、ときどき道を歩いているとソファーや椅子、テーブルなどが粗大ゴミのように放り出してありますが、通りかかった人たちは「どんなもんかな」という顔で物色していきます。そして、たいてい誰かが持って行ってしまうのです。「売ります、買います」の広告がやたらと機能しているのも日本とはずいぶん違うところ。


Pentax *istD + Biotar 58mm/f2

で、話を戻すと、古物商ではガラクタを色々と売っているけれど、手を入れるとそれなりに味のある《骨董》として風格を出してくれるというのがポイント。ただし、うちの玄関の電灯の場合、僕は以前の状態を知っていたので、もとの状態に修復したといえるかもしれませんが、このランプの場合、どこでどのように使われていたものかまったくわかりません。例えば、写真で上に乗っている赤いガラスは僕が勝手にアレンジしたものですが、これもヴィオレ=ル=デュクと同様に「推定復元」として批判されてしまうのでしょうか。


Pentax *istD + Flektogon 35mm/f2.4(2005.05.05)

これと同じ形のランプは、しばしば教会堂で見ることができます。写真は、こちらの方が遙かに華やかに装飾されていますが、サン=シュルピス教会堂のチャペルで撮ったランプ。僕の買ったランプも、本当に19世紀まで遡るのかどうかはわかりませんが、もともとは教会堂に飾られていたものかもしれません。そこでふと疑問に思ったのは、いったいこのランプの形状は何を表しているのだろう、なぜ教会堂にはこういう不思議な形状のランプが吊されているのだろう、ということ。


Pentax *istD + DA16-45mm(左:2005.05.31/右:2004.08.02)

とりあえずの思いつきですが、もしかして関係あるのではないかと考えたのが、これらの写真にあるような、リブ・ヴォールトの交差部分のキー・ストーンが吊り下がってくる装飾形態。これはフランスの15〜16世紀のゴシック建築で時々見られるものですが、ヴォールト天井から長い鎖で吊り下げられたランプも同じような意味合いを持つものではないかと考えてみました。すなわちこのランプは、あたかもリブ・ヴォールトから長く吊り下がりすぎて分離してしまった、建築部材から独立して新たな装飾品として誕生したものではないかと想像したわけです。ところが今日、ヴィオレ=ル=デュクの『中世建築事典』を読んでいると・・・(続く)


Posted: 水 - 6月 8, 2005 at 01:57 午前          


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