ピエールフォン城の修復は歴史的価値だけを重視する人々にとっては実に忌まわしい例であった。完全な形で残っている中世城塞建築がもはや存在しないフランスにおいて、もしピエールフォン城の修復が慎重に行われたならば、きっと貴重な資料になったに違いないからである。しかし現実には、皇帝夫妻の離宮として供されるのが目的で再建されたのである。そのためにヴィオレ・ル・デュクは後世の人々の最大の非難を浴びることとなるのである。(羽生修二『ヴィオレ・ル・デュク[歴史再生のラショナリスト]』鹿島出版会、SD選書、1992年)