ル・コルビュジエ vs. ギマール第2章





パリ16区 にはアール・ヌーヴォーの建築家エクトール・ギマール の建築が多数あることがよく知られていますが、同時に20世紀前半のモダニズム建築も数多く見られます。以前にも「ル・コルビュジエvs.ギマール」 と題して、2人の建築家の作品を同時にご紹介したことがありましたが、この日もまだ見ぬ2人の建築を見学してきました。まず最初はル・コルビュジエの集合住宅。ただし、正確にはこの建築はパリ16区からわずかにはずれて、ブーローニュ・ビヤンクール市(Boulogne-Billancourt)に位置しています。




この建築は1933年にル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレによって建設され、ル・コルビュジエは彼がこの世を去った1965年まで、この住宅で暮らしたとのことです。ファサードを飾るガラスブロックが特徴的なこのデザインは、どこかオランダのデ・ステイルを想起させるようでもあり、彼がここを終の棲家に選んだというのはちょっと意外でした。地理的にも、パリ市内のきわめて都市的な環境下というわけでもなく、かといって美しい田園風景というわけでもない、おそらく当時は新興住宅地だった辺りでしょう。なぜ彼はここを選んだのだろう?と考えながら、続いてギマールの建築へと移動しました。




こちらはギマール設計による、旧エコール・サクレ=クール(1895年)。敷地内には入ることができず、道路から遠目に眺めることしかできませんでした。特にアール・ヌーヴォーらしい建築というわけではありませんが、ファサードに用いられた斜めに上部を支える鉄骨の支柱が有名です。




この鉄骨の支柱のデザインは、ヴィオレ=ル=デュクが1872年に発表した『建築講話』第2巻の挿絵に見られるものとよく似ていることから、19世紀後半における鉄骨建築の歴史のなかで、ときどき言及されるもの。とはいえ、ギマールがこの建築の直後に手掛けたカステル・ベランジェ(1896-98年)などに比べると、アール・ヌーヴォー的な装飾の派手さは少なく、アール・ヌーヴォー好きな方には少々もの足りないかもしれません。

Posted: 木 - 4月 27, 2006 at 05:09 午前          


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