(2004/09/28)
オルベのサン=ピエール大修道院。
(2004/09/28)
シャロン=アン=シャンパーニュ。
(2004/09/29)
トロア大聖堂。
(2004/09/29)
オーセール大聖堂。
(2004/09/30)
トゥルニュのサン=フィリベールのステンドグラス 。
(2004/09/30)
クリュニー旧大修道院。
(2004/09/30)
パレー=ル=モニアル。
(2004/10/01)
ディジョンのノートル=ダム教会堂。
(2004/10/01)
フォントネー旧大修道院。
(2004/10/01)
ヴェズレーのマドレーヌ教会堂。
(2004/10/02)
サンス大聖堂。
(2004/10/02)
モレ=シュル=ロワン。

■ブルゴーニュ旅行記

 2004年9月28日から10月2日の5日間、ブルゴーニュ方面を旅してきました。前回のイル=ド=フランス〜ノルマンディ旅行も5日間でしたが、実はこれにはちょっとした理由があります。
 大手のレンタカー会社をインターネットで調べて、料金の明細がわかりやすかったAVISレンタカーを使っています。AVISで安く借りることのできるオートマ車はスマートになります(この辺りは、前回の旅行記にも書きました)。スマート・カーを4日レンタルすると280ユーロ、ところが5日レンタルすると、なんと230ユーロになるのです。料金の明細がわかりやすいと書いたこととは矛盾しますが、この謎の料金体系!長く借りれば1日あたりの料金が安くなるのは当然ですが、合計が安くなるというのはまったく訳がわかりません。結局、4泊5日のドライブ旅行というのが落としどころとしては最適ということになるわけです。

 前回の旅行記の最後に、次回はブルゴーニュ〜アルザス方面に行く予定と書きましたが、アルザス(ストラスブールに行きたかったのですが)は延期になりました。ストラスブールのクリスマスは素晴らしい、という話を聞いたのでクリスマス頃に行く予定です。

 さて、今回はブルゴーニュ旅行記といっても、初日はパリから北東へ1直線に進みピカルディー地方とシャンパーニュ地方の境界線あたりを目指しました。このあたりには、僕の現在の師匠ダニー・サンドロン先生が著した『ピカルディー・ゴシック』という研究書にも登場する重要な初期ゴシック建築があります。それがブレーヌ(Braine)そして左の写真にもあるオルベ(Orbais-l'Abbaye)のサン=ピエール大修道院です。残念ながらこの日は、ブレーヌの教会堂の中に入ることができませんでしたが、オルベの方は前もって管理人の方に電話をして鍵を開けておいてもらったので無事に見学できました。オルベの教会関係者には日本語を勉強している人がいるようで、こうした地方の教会堂としては珍しく手書きの日本語のパンフレットが置かれていました。一生懸命書かれた日本語の文字といい、日本語表現の微妙なずれ方といいとても微笑ましいものでしたが、もちろん僕にはそれを笑うことはできません。それにしてもここまで来る日本人観光客がいるのでしょうか。
 オルベの見学の後は、シャンパーニュ地方の中心都市の一つシャロン=アン=シャンパーニュ(Chalons-en-Champagne)に向かいました。ここにはノートル=ダム=アン=ヴォーという初期ゴシック様式の教会堂があります。重要な教会堂なのですが、実は訪れたのは初めてでした。建築史的にはランスのサン=レミ大修道院の影響を強く受けた建築といわれ、おそらくサン=レミの教会堂を建設した建築工匠がここも手がけたのであろうといわれています。サン=レミの方は見学済みだったので、同じようなものだろうと、こちらは後回しになっていたのです。
 しかし、単純な教会堂の美しさという点では、ここシャロンのノートル=ダム=アン=ヴォーはランスのサン=レミを遙かにしのぐものでした。世界遺産にも登録されています。詳しくは知りませんが、第一次世界大戦でランスはドイツ軍の戦火にさらされ、大聖堂をはじめサン=レミ大修道院もまたひどい被害を受けていますが、シャロン=アン=シャンパーニュはそうした戦災があまりなかったのかもしれません。ステンドグラスの保存状況も良く、外観も双塔が完全に残っており、ある意味「理想的な」初期ゴシック建築でした。もっとも美しいゴシック教会堂はどれかと聞かれたら、いまの僕はこのシャロンのノートル=ダムを推すでしょう。訪れた時間帯が夕方と早朝だったため、光が抑制され、暗闇の中からステンドグラスの光が浮かび上がる感じがよく出ていたのかもしれません。周歩廊には細いアン・デリのシャフトが多用され、「天蓋のような」ゴシックの構造デザインが強調されていました。


 2日目はシャロンから南に向かい、いよいよブルゴーニュ地方へ。途中、シャンパーニュ地方の南の大都市トロア(Troyes)にて大聖堂を見学しました。トロア大聖堂は盛期ゴシック様式の代表作の1つで、13世紀半ばの建築。時代的にはサン=ドニの身廊やボーヴェ大聖堂と同時期ということになり、レイヨナン式と呼ばれる盛期ゴシックのスタイルを代表する建築といえるでしょう。
 トロア見学の後は、いよいよブルゴーニュ地方に入って、ポンティニー(Pontigny)旧大修道院、そしてオーセール(Auxerre)大聖堂を見学しました。ポンティニーはシトー修道会による白い教会建築で、身廊はロマネスク様式、内陣は初期ゴシック様式となっています。シトー修道会の建築といえば、この後4日目に訪れるフォントネー大修道院が有名ですが、シトー会の由緒としては、こちらの方が歴史ある修道院ということになります。
 続いて訪れたオーセール大聖堂は、内陣は13世紀に建設され、身廊は14世紀に建設されたもので、周歩廊のデザインはシャロン=アン=シャンパーニュのノートル=ダム=アン=ヴォー教会堂の影響を強く受けているように見受けられました。現在オーセール大聖堂は大々的に修復をしており、内部には30mの高さの天井近くまで足場が組まれ作業が進められていました。高いところで作業をする職人風の人たちとは別に、地上レベルでは片隅にラボが設けられ、パソコンを並べてCADで作業する人たちがいたり、また聖堂内のあちこちで手書きの図面を描いている学生風の人たちがいたりと、作業風景も興味深いものでした。
 この日はその後ディジョンまで移動し、ブルゴーニュの中心に位置する古都ディジョンに泊まりました。

 3日目は、趣向を変えてロマネスクの教会堂巡りです。ブルゴーニュといえばクリュニー修道会系の素晴らしいロマネスク建築がたくさんある地域なので、この日は未だ訪れたことのなかったトルニュ、クリュニー、パレー・ル・モニアルをまわりました。
 これらの教会堂はディジョンからさらに南に下った地域に点在しており、車を進めるにつれて空の青さも濃くなっていくような晴天にも恵まれ、秋のブルゴーニュの美しい風景を満喫するドライブとなりました。最初に訪れたトゥルニュのサン=フィリベール旧大修道院は、ブルゴーニュ・ロマネスク建築を代表するものの1つで、11世紀末から12世紀初頭の建築。内部では身廊に並べられた太い円柱が印象的です。内陣の窓には現代の作家の手によるステンドグラスが嵌め込まれていますが、そのパウル・クレーのような色合いは不思議とこの中世建築のなかで魅力的な存在感を出していました。
 続いていよいよブルゴーニュ・ロマネスクの中心地クリュニーへ。クリュニー大修道院は残念ながらフランス革命後の破壊行為によって廃墟と化していますが、現存する交差廊の塔や敷地の広大さから、往事のクリュニー大修道院が偲ばれ、その巨大な規模に圧倒されます。左の写真でもわかるように、教会堂の部分だけでもその規模は想像を絶します。写真で、手前に見える列柱の遺構が教会堂のナルテックス(玄関廊)、奥に見えるのが交差廊の塔となります。したがって、教会堂は手前のナルテックスから奥の塔の辺りまで続き、さらにその向こうに内陣が突き出していたということになるわけです。その全長は177mにも及び、16世紀にバチカンのサン=ピエトロ(全長186m)が再建されるまでは、キリスト教世界最大の教会建築だったといわれています。現在は美術館のようにして敷地内の様々なところを見学できるようになっていますが、教会堂そのものが廃墟になってごく一部しか残っていないため、中世の建築を見学したい僕は比較的あっさりと見学を終えました。
 この日最後はパレー・ル・モニアルの教会堂を見学しました。クリュニーを見た直後だと、その規模はそれほど大きく感じませんが、塔のデザインなどクリュニーの影響を強く受けているのがわかります。クリュニー研究の第1人者K・J・コナントが「クリュニーのポケット版」と呼ぶのも頷けるというわけです。ただし、残念ながらパレー・ル・モニアルでは身廊のほぼ全体に足場をかけ、修復作業の真っ最中で、内陣と外観しか見ることができませんでした。
 3日目の晩も2日目に引き続きディジョンに泊まり、前の晩は食べられなかったブルゴーニュ料理に舌鼓を打ちました。ブルゴーニュの定番メニューといえば、前菜にエスカルゴ、メインはビーフシチューにも似た「ブフ・ブルギニョン(boeuf bourguignon)」、または鶏肉をワインで煮込んだ「コック・オ・ヴァン(coq au vin)」です。学生時代、初めてディジョンに来たとき、一人旅ながらたまには旅先のおいしいものを食べたいと、ホテルのレストランでコック・オ・ヴァンを食べて感激し、ギャルソンに「おいしい!おいしい!」と感動を伝えていたところ、彼がカルヴァドスを1杯振る舞ってくれた思い出があります。今回もそのホテルに泊まってそこのレストランで食べたいと考えていたのですが、出発前に電話してもファックスしてもつながらず、この日、飛び込みでレストランに向かったところ、なんとホテルは潰れていました。しかたなく別の店を探して食べたわけですが、やはりブルゴーニュの郷土料理は僕の口に合うようです。今回、一緒に感動を分かち合った妻も気に入ったようだったので、日本人の口に合うのかもしれませんね。

 
 さて、4日目は午前中ディジョンの市内観光、午後からフォントネー、そしてヴェズレーへと向かいました。学生時代にディジョンに来たときに、市内のめぼしい建築はだいたい見学したつもりだったのですが、なぜかノートル=ダム教会堂だけは見ていませんでした。そして現在の僕の研究テーマにとってはこの教会こそディジョンでもっとも重要な教会建築なのです。そんなわけでこの教会堂を中心に市内を少し見て回り、左の写真のようにノートル=ダム教会堂が見えるオープン・テラスのクレープリーで昼食を食べてから、フォントネーへと向かいました。
 フォントネーも学生時代に1度訪れたことがあります。そのときはディジョンから電車で近くのモンバールという駅まで行き、そこから延々30分以上あるいてようやくたどり着いたところだったのですが、今回は車なのであっという間でした。モンバールの駅前を通過してからフォントネーまであまりにもあっという間で、30分以上歩いたという僕の記憶は改竄されたものかもしれません。とにかく歩き疲れたのは間違いありませんが。

 フォントネー大修道院は、シトー修道会の建築を代表する重要な建築です。シトー修道会を強力に牽引した当時の宗教的カリスマ聖ベルナールの建築的理想を体現した修道院は、彼が大修道院長をつとめたクレルヴォー大修道院であるわけですが、これは現存しないためそれに最も近い構成を有する修道院としてここフォントネーが重要視されるわけです。
 続いてヴェズレーのマドレーヌ教会堂を見学しました。ヴェズレーもまた2度もの訪問ですが、以前来たときには「クリュニー系ロマネスク教会建築の最高傑作」を見学する、という意気込みだったため、ゴシック時代に建設された内陣部分にはほとんど目もくれず、写真もおざなりなものが数枚あるだけという状況でした。ヴェズレーでは身廊の柱頭彫刻の一つ一つが、またナルテックスの彫刻がどれをとってもロマネスク芸術の傑作ともいうべき美しい作品となっており、どうしても比重がそちらに偏ってしまいます。しかし、お馴染みのパターンですが、現在の僕の研究テーマにとってはヴェズレーの内陣こそが重要で、そこをきちんと観察してこなかったのは大問題だったわけです。そのため今回は、4日目の夕方と5日目の朝と2回に分けてゆっくりと見学してきました。

 ちなみに、本当は中世の雰囲気をそのまま残す丘の上の小さな村ヴェズレーで泊まりたかったのですが、出発前にいくつか連絡を取ったところ、小さな村の小さなホテルはどこも満室で、残念ながらヴェズレーの近くの町アヴァロンにて一泊しました。せめて晩ご飯だけでもとヴェズレーで夕食をとり、食後に暗くなり始めたヴェズレーを散歩しましたが、夜のヴェズレーも雰囲気があって素晴らしいところでした。その後、アヴァロンまで夜の山道を20分間ドライブしなくてはらなないのにはかなり緊張しましたが。
 
 5日目は午前中にもう一度ヴェズレーを見学した後、ついにパリ方面へ。最終日はヴェズレーの後に、サンス大聖堂、そしてモレ=シュル=ロワンの教会堂を見学しました。
 サンスはゴシック様式による最初の大聖堂がある町として知られ、また中世にはパリを含むイル=ド=フランス南部を管轄する大司教管区の長であり、さらにはローマ法王アレクサンドル3世がイタリアからフランスに亡命したときに法王庁が置かれた都市でもあります。パリから電車で1時間ほどの距離にあることから車で寄らなくても良かったのですが、通り道だったこと、そして今回の渡仏後まだ1度も行っていなかったことから、せっかくなので見学してきました。
 行ってみるとさすがに見所は多く、けっこう時間を費やしてしまいました。そのためもし時間があれば見学するつもりだったフォンテーヌブローはあっさり諦め(ヴェルサイユとフォンテーヌブローには未だに行っていません・・・)、最後はモレ=シュル=ロワンへ。ここは左下の写真のようにロワン川沿いの風光明媚な小さな町で、画家のシスレーが創作活動をしていたところとしても知られていますが、中世の教会堂を残す町でもあります。この町の教会堂は規模は小さいものの、初期ゴシック様式の特徴を備えており、特に内陣のデザインが独特の興味深い建築でした。
 
 その後はまっすぐパリへ。最近のパリ自転車生活が功を奏したか、パリ市内に入ってからも道に迷うことなくアパートで荷物を下ろし、無事にレンタカーを返すことができました。


 
 
 
 
 
 
 


 
 
 

 




 

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