(2004/08/01)
セーヌ川の風景。ムランにて。
(2004/08/01)
ランピヨンのサン=エリフ教会堂。
(2004/08/01)
なだらかな斜面の静かな村の中に佇むサン=ルーの教会堂。
(2004/08/01)
プロヴァンの町を囲む城壁。
(2004/08/02)
モリアンヴァルの教会堂。光と影の圧倒的な美しさがこの写真でお伝えできるでしょうか?
(2004/08/02)
ヴィオレ=ル=デュクにより修復されたピエールフォン城。
(2004/08/03)
オーヴェール=シュル=オワーズの教会堂。ゴッホが描いた絵で有名。
(2004/08/03)
シャールの教会堂、内陣上部。同様の円形窓のトリフォリウムはパリのノートル=ダムで見られる。
(2004/08/04)
ガイヤール城。セーヌ川とレザンドリの市街を見下ろす高台の上にそびえ立っている。
(2004/08/04)
ジュミエージュを目指してセーヌ川を渡る。合計8台ほどの車が乗っていたが、先頭で絶景を確保。
(2004/08/04)
ジュミエージュ大修道院。フランスでもっとも美しい廃墟?
(2004/08/04)
オンフルールの港の風景。
(2004/08/05)
エトルタの断崖。アルセーヌ・ルパンの『奇岩城』の舞台となった。

■イル=ド=フランス〜ノルマンディー旅行記

 8/1より8/5まで、レンタカーでイル=ド=フランス〜ノルマンディーを旅してきました。このページでは、簡単に旅行報告をします。

 1日目、2日目は日帰りとし、1日目はパリから見て南東方面、2日目は北東方面をまわり、3日目以降は北西方面に進み、そのままノルマンディーまで到達という行程でした。

 スマート・カーはもっとも安く借りることのできるオートマ車で(オートマの次のランクはメルセデス・ベンツとなる)、パリのゴチャゴチャした道では小回りのきくスマートはかなり走りやすい車でした。ただ田舎に行くと珍しいらしく、しかも運転しているのは得体の知れない日本人で運転も危なっかしいと言うことで、かなりジロジロと見られましたが、逆に他の車が距離を取ってくれるので堂々と初心者運転をすることができました。


 さて、初日はイル=ド=フランス南東方面、ブルゴーニュ地方の手前まで行き、ムラン(Melun)、シャンポー(Champeaux)、ランピヨン(Rampillon)、サン=ルー=ド=ノー(St.-Loup-de-Naud)、プロヴァン(Provins)、ヴールトン(Voulton)の、合計6箇所の町や村をまわり、12世紀の教会堂を見学しました。ムランはセーヌ川上流の比較的大きな町で、風景の美しさが印象的でした。その後まわった、シャンポー、ランピヨン、サン=ルー=ド=ノーなどは幹線道路からはずれた小さな村で、一直線の農道や並木道のドライブは本当に気持ちのいいものでした。これらの教会堂の中では、シャンポーのサン=マルタン教会堂が僕の研究にとっては価値があるものでしたが、美しさの点では写真のランピヨンのサン=エリフ教会堂が上でしょう。これは13世紀に聖堂騎士団によって建設されたと言われる教会堂で、盛期ゴシック時代に属する教会堂ですが、僕の研究テーマであるアン・デリのシャフトがふんだんに使われており、はずせない教会堂でした。装飾的なアン・デリの使用による美しいインテリアの写真は、いずれゴシック・データベースページで公開する予定です。
 その後訪れたプロヴァンは、南仏のプロヴァンスと間違えられそうな名前ですが、近年世界遺産に登録された、中世の街並みを良く残した美しい町です。ここにはサン=キリアス教会堂というこの日のハイライトとなる教会堂があり、無事に見学してきました。教会堂の向かいにはやはり12世紀に建設された「シーザーの塔」と呼ばれる塔が立っており、かつての面影を良く残しているようです。 この日最後に訪れたヴールトンの教会堂は小振りながらプロヴァンのサン=キリアス教会堂の影響を強く受けており、この2つの教会堂を比較しながら今後の研究に役立てようと、意気揚々と最後の見学を終えました。


 2日目は北東方面、ピカルディー地方の手前まで行き、クレピー・アン・ヴァロワ(Crepy-en-Vaolois)、モリアンヴァル(Morienval)、ピエールフォン城(Pierrefonds)、サン=ジャン=オ=ボワ(St-Jean-aux-Bois)、サンリス大聖堂(Senlis)、サン=ルー=デッスラン(St-Leu-d'Esserent)をまわりました。
 2つ目に訪れたモリアンヴァルはミシュランのガイドブックによるとあらかじめ管理人に連絡を取ること、とのことだったのですが、何度電話してもつながらず、アポ無しで向かいました。到着すると、危惧したとおり鍵がかけられて中に入ることができなかったのですが、ふと見ると鍵を手にした夫婦が歩いてきて、「一緒に入りますか?」と声をかけてくれ、無事に入ることができました。中に入って、光と影の彫塑的な美しさにしばし呆然。修繕され白い石材がかつての姿を取り戻している所為もあるとは思いますが、まるでモダニズムのような美しさに完全に圧倒されました。12世紀前半の建築家たちがこのような美意識を有していたのだということを、改めて認識させられました。
 続いて、ヴィオレ=ル=デュクが修復したことで有名なピエールフォン城を訪ねました。山間の細い道を抜けると突然彼方に現れるピエールフォン城の威容は圧倒的でしたが、あまりに完璧なその姿はともするとディズニーランドのように見えないこともなく、修復の難しさを感じさせられました。ホームページに書かれているピエールフォン城の年譜の最後には、1996年にマイケル・ジャクソンがこの城を買い求めに訪れたと書かれていましたが、ディズニーランド好きで知られる彼の目にも、この城が「本物の」ディズニーランドに見えたのでしょう。
 その後、コンピエーニュの森を抜け西に向かう途中、森のほぼ中央に位置するサン=ジャン=オ=ボワ(森の聖ジャン)旧修道院を見学しました。教会堂はシンプルな構成ながら、12世紀の建築の特徴を随所に備えたものでした。
 続いてサンリス大聖堂。ここは以前に見学したことがあったのですが、再びじっくり見てきました。おかげでまた色々と発見がありましたが、これについてはゴシックのデータベースページに載せていく予定です。この日はサンリスで時間を取りすぎて、この後に訪れたサン=ルー=デッスランの教会堂は扉が閉ざされ、中を見ることができませんでした。


 3日目は、イル=ド=フランス北側のオワーズ川流域の町からスタートし、ボーモン=シュル=オワーズ(Beaumont-sur-Oise)、オーヴェール=シュル=オワーズ(Auvers-sur-Oise)、シャール(Chars)、ボーヴェ(Beauvais)、サン=ジェルメ=ド=フリ(St-Germer-de-Fly)をまわり、最後にレザンドリ(Les Andelys)に泊まりました。
 ボーモン=シュル=オワーズは、またも扉が閉ざされ、見学できず残念でした。ここについては見学の情報が前もって掴めなかったため、また改めて訪れるしかなさそうです。続いて訪れたオーヴェール=シュル=オワーズは、画家のゴッホが晩年を過ごした町で、ここの教会堂はゴッホの絵でも有名です。町はずれの墓地にはゴッホの墓もあり、観光客の姿も多数見られました。教会堂の内部ではアン・デリのシャフトから切石積みの組積造への変化の過程が見られ、きわめて興味深いものでした。
 続いて訪れたシャールは、12世紀の初期ゴシック教会のなかでも数少ない、円形窓のトリフォリウムを持つ教会で、以前から是非とも見学したいと思っていたものでした。ここもまた鍵がかけられ、扉が閉ざされていたのですが、ガイドブックにシャールの町役場の電話番号が載っていたので電話してみたところ、教会堂の管理人の電話番号を教えてくれ、そこに電話をかけて用件を伝えると、ニコニコと笑顔の老婦人が鍵を持って来てくれました。僕が写真を撮っているあいだ、彼女がずっと教会堂の中で神に祈りを捧げてたのが印象的でした。 教会堂の内部は、現代の作家の手によるステンドグラスのオレンジ色の光に満たされ、独特の雰囲気に包まれていました。
 続いて訪れたボーヴェは、ゴシック大聖堂の中でももっとも天井高の高い大聖堂で有名ですが、ここでの主たる目的は大聖堂ではなく、サンテティエンヌ教会堂でした。 ここは2度目に訪問となるのですが、かつて来たときは大聖堂の方に気を取られ、サンテティエンヌ教会を細部まで見尽くしていなかった印象があったので、今回は期待を込めて隅々まで見て回ったのですが、特に面白い発見はなく残念でした。
 この日、最後の見学はボーヴェから西に30分ほどいったところにあるサン=ジェルメ=ド=フリ旧大修道院でした。今回のドライブ調査旅行を思い立ったのもこの教会堂が見たかったからと言っても過言ではなく、もっとも期待を込めて見学に訪れた教会堂でした。公共の交通機関ではアクセスできないところにあるため、レンタカーが必要になったわけです。ここは、本当に期待に応えてくれました。これについてもゴシック・データベースの方に詳細を載せる予定ですが、もう少しきちんとした形でまとめなければと思っています。
 その後一気にセーヌ川沿いのまちレザンドリまで南下して、この日はこの町で一泊しました。


 4日目は、レザンドリの町を見下ろす高台にそびえ立つシャトー・ガイヤールの見学からスタートしました。ここはピエールフォンと並んでフランス中世を代表する城郭建築ですが、ピエールフォンとは異なり修復されず廃墟として遺っています。 圧倒的な自然のロケーションのなかでは、修復された美しい建築よりもこのような廃墟の方が相応しいのではないかと、またも考えさせられました。
 シャトー・ガイヤールの見学後はセーヌ川沿いに一気に西を目指しました。途中、どうしても見学したかったのがジュミエージュの大修道院。ここは、フランス中世建築の碩学ロベール・ド・ラステイリが「もっとも賞賛すべき廃墟の一つ」と賛美したというモニュメントで、 思いがけずガイヤール城に続いて廃墟巡りとなりました。
 ジュミエージュに行くためにはセーヌ川を渡らなければならないのですが、そこに橋はなく、バックと呼ばれる小型のフェリーで渡ることになります。
 そうして、ようやくたどり着いたジュミエージュはやはり美しい廃墟でした。教会堂だけではなく、修道院の付属施設がかなりたくさん遺っていて、想像していたよりも規模が大きく驚かされました。
 その後、再びノルマンディーの古い港町オンフルールを目指して、一路西を目指そうと再びバックの船着き場まで戻ったところ、船が故障したとのこと。仕方なく、大きく迂回してセーヌ川の右岸沿いに西を目指すことになりました。河口近くの巨大な有料の橋を渡り、ようやくセーヌ左岸に出ると本日の最終目的地オンフルールはすぐそこでした。
 オンフルールは妻の好きなピアニスト、エリック・サティーの故郷であり、「メゾン・サティー」なるミュージアムがあるため、この町を目指したのですが、ミュージアム自体は妙にアトラクションじみていて想像していたのとは随分違うものでした。しかし、エリック・サティーという人物自体、周りの人の想像範囲を超えた人物だったのかもしれません。
 オンフルールは木造の住宅や教会建築が立ち並ぶ古い港町で、独特の雰囲気を醸し出す街並みは、フランスの他の町では見られないものでした。ただ、この時期はバカンスでフランス人の観光客たちで溢れかえっていて、そういう情緒に浸れるようなゆったりした時間は流れていませんでした。今回の旅の中で、もっともたくさんの人を見たのがこの町だったかもしれません。
 この町はホテルを予約してきたので助かりました。


 最終日はオンフルールの隣の港町ドーヴィルを少し散策した後に、ノルマンディーが誇る奇観エトルタを訪れ、その後はパリまでの長距離ドライブとなりました。
 エトルタは、白亜の断崖という自然の奇勝で知られ、かのアルセーヌ・ルパンの「奇岩城」の舞台ともなったところです。子供の頃からルパン・フリークだった僕は童心に返って興奮ひとしきりでした。
 帰り道は、以前訪れたことのあるルーアンは通過して、まっすぐやく6時間のドライブでパリにたどり着き、夜10時、レンタカーを無事に返却して今回の旅行は終了しました。


 次回はブルゴーニュ〜アルザス方面に行く予定・・・




 

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