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2005.1.27-1.30
イスタンブール旅行をしてきました。

写真はアヤ・ソフィア(ハギア・ソフィア)の内観。
古代末期に建設されたこの建築は、中世を通してギリシア正教の総本山として君臨していました。
西欧世界から見れば、コンスタンティノープル(当時のイスタンブール)は遙か彼方ですが
キリスト教の聖地エルサレムへ至る道の重要な拠点として、
そして何よりも伝説的とも言えるほど、巨大で荘厳なこの教会堂の存在は
中世の西ヨーロッパにもよく知られていました。
最初のゴシック建築を創造したことで知られるサン=ドニ大修道院長シュジェールは
彼の教会堂の装飾が、このハギア・ソフィアに比肩しうるものかどうか
エルサレムからの旅人に尋ねています。

1453年にこの地がオスマン・トルコの支配下に入ると、この教会堂はモスクとして用いられるようになります。
異教の神殿(教会堂)が破壊されることなく、イスラム教徒によって保護されモスクとして転用されたことは、
建築の歴史を考える上でも最大の幸運といえるでしょう。
そればかりかオスマン・トルコ時代のトルコでは、このハギア・ソフィアの建築形式が
約1000年の時を経て、モスクの建築形式として再生産されることになります。

現在、この建築は美術館として一般公開されています。


左のアヤ・ソフィアと右のブルー・モスクとは、向かい合うようにして建っていますが
その建設年代には、1000年以上の隔たりがあります。
アヤ・ソフィアは6世紀の建築、ブルー・モスクは17世紀の建築。
言い方を変えれば、アヤ・ソフィアは聖徳太子より前の、
ブルー・モスクは徳川家康より後の建築ということになります。



ブルー・モスクの内観。
内部を装飾するタイルの色からブルー・モスクの名で親しまれています。
設計はトルコを代表する大建築家シナンの弟子にあたるメフメット・アー。




地下宮殿の名で知られている、地下貯水池(シスタン)。
アヤ・ソフィアと同じ時代に建造されたもの。




トプカプ宮殿の庭園にて。




オスマン・トルコの偉大な建築家ミマル・シナン設計によるモスク、スレイマニエ(スレイマン1世のモスク)。

僕自身の建築史に対する個人的な興味と好奇心は、だいたいにおいてデザインの起源に向かうことが多いので、
これらアヤ・ソフィア型のモスク建築を見る際にも、
これより1000年も前に設計されたアヤ・ソフィアそのものを賞賛する方へと
気持ちが向かいます。
にもかかわらず、ここスレイマニエの内部に入った瞬間の感動的な空間体験は、いったい何に根ざしているのでしょうか。
シナンという大建築家のことをもっと知りたくなる衝動はありますが、いまはあまり手を広げすぎないようにします。
以下2枚は同じスレイマニエの内観写真。ランプに露出をあわせたので建築そのものは暗く感じるかもしれません。






最後は、今回の旅の一番の目的だった、グランド・バザール。
内部は迷路のように入り組んでいて、僅かな訪問時間では全体を把握するのは難しいですね。
この建築に関する研究書はほとんど出版されておらず、書店巡りの末、
ようやく1冊だけ見つけることができました。ありがたいことにフランス語版。


外は雨(右)、訪れたのは夕方(左)ということで、高窓からどの程度太陽光が差し込むのかは
残念ながらよくわかりませんでした。



もともとの市場は、この地に15世紀に建設されました。
その後、度重なる火災や地震からの復興、増改築を繰り返しながら有機的に拡大していったようです。
現在のバザールは、1943年と1954年の火災の後に再建されたものとのこと。




こちらは、イスタンブールのもう一つのバザール、エジプシャン・バザール。

屋根がかかっている部分はグランド・バザールほど多くはありませんが、
この周囲には、屋根のかかっていない市場が大きく広がっていました。
その様子は、まるっきり上野のアメ横そのものといった感じで、
イスタンブールの「アジア」としての側面を強く印象づけられました。



こちらはイスタンブール新市街にあるチチェキ・パサージュ。
入口の壁面には1876年の銘が入っていました。
印象としては逆にヨーロッパ型のパサージュを真似たものという感じです。
アラビア型のバザールがパリのパサージュに影響を与えたとするならば
さしずめ、こちらのチチェキ・パサージュは、西ヨーロッパからの逆輸入といえるでしょう。


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